204通信

昭和薬科大学附属高等学校2年生の学年通信

第41号「数理女子」

 

f:id:SHOYAKU-46-H2:20200530213510j:plain

※「数理女子」のHPです。

 まずは、私の文章を読む前に次のHPを訪れてほしい。

 「数理女子」http://www.suri-joshi.jp/

 タイトルは女性向けに見えるが、中身は男女関係なく数学にどっぷりとはまり、数学を愛さずにはいられない人々が躍動する内容となっている。私ですらおもわず夢中であちこちのページを覗いていたら1時間以上たっていた。特に「数学を生かす将来」のコーナーでは、大学で数学を学びながらも就職は異分野の職種を選択した人々が抱く夢や思いが語られており読み応えがあった。数学が大好きで、けれど就職が不安だと考える高2生にはとてもよい教材となるだろう。

 私は国語の教師であるから、数学に関してはまったくの門外漢。しかし門外漢だからこそ言えることがあると思っている。今日は数学が好きな人も嫌いな人も少しの間お付き合い願いたい。

 そもそも、私は国語(ただし現代文に限定する)と数学は同一線上に存在する教科だ勝手に思っている。どちらも覚える作業よりも思考することに軸足を置くと感じるからだ。もちろんその他の教科も思考が大事だが、高校までに限定すれば暗記事項が国数よりも多いのではないか。

 数学は特異な教科だ。よく〝純粋理性〟と呼ばれるが、どの教科にもまして理性のみが働く。ベクトル問題を解くとき、数列を導くとき、そこには私が人である必要がなく〝思考する自我〟だけが存在すればよい。せいぜい鉛筆を動かす指、問題を見つめる瞳、そして思考する脳だけがあれば事足りる。喜びも悲しみも、怒りや安らぎもなく、ただあるのは目の前の問題を解く覚醒した〝知〟のみ。他教科はどれほど純化しようとも、社会や世界、私や他者を切り離すことが難しい。しかし数学は出来そうな気がする。

 学問は社会と密接にかかわることで初めて学問としての価値を持つ。私は今でもそう信じているし、その信念はまったく変わらない。変わらないが、学問が社会のためだけに存在する必要はないことも理解している。時には私をとりまくしがらみを全て脱ぎ捨てて、ただひたすらに対象に己を溶かしたいと願うときもある。そのようなとき、数学はうってつけだ。

 しかし「数理女子」のHPをじっと眺めていると、私の考えが一部誤っていたことに気づかされた。数学も密接に社会と関わり、社会を支え、社会を動かす一部となっている。数学を通して社会をよくしたいという情熱をもって、仕事に取り組む人を見ることができたのは大きな収穫だった。

 数学にはロマンもある。だいぶ前だが「NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪(しっそう)の謎~」という番組を見てとても感動したことを思いだした。〝ポアンカレ予想〟を解いた数学者ペレルマンの人生を追いながら、数学者の光と影を巧みに描いていたのが印象に残っている。

 最後に「理数女子」の中に登場する素敵な言葉を紹介して終わりたい。

「いきなりですが、私には忘れられないひとつの問題があります。その問題とは、大学院受験の際に出会った次の問題です。

『最も感動した数学の定理(または理論)を述べよ』

 問題を見た瞬間、〝なんてステキな問題を出すんだろう!〟と興奮したのを憶えています。この問題の向こうに数学者たちが数学を楽しんでいる姿が見えた気がしたのです。」※NHK第1制作センター経済・社会情報番組部ディレクター 木原 克直さんの文章。

 私もとても素敵な問題だと思う。いつか国語でもこんな問題を定期試験で出題したいなあ。

(砂川 亨)