204通信

昭和薬科大学附属高等学校2年生の学年通信

第33号「ソーシャル ディスタンス」

 

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※フリー素材よりお借りしました。

 犬の散歩は、暑さを避けて夜に行くことにしているが、散歩コースの景色が以前の明るさを取り戻しつつある。自粛中には、人の姿はもちろん、車も数える程度にしか走っておらず、街は光を失ってうらぶれた印象すら漂っていた。緊急事態宣言が解除された直後から、明らかに人の姿が増え、あちこちの店がまばゆい輝きを漏らしている。まだまだ油断は出来ないが、それでも街が〝復活する〟様子を見るのは心が躍る。

 その代わりと言っては何だが、最近特に耳にするのが「ソーシャル ディスタンス」という英語。Social Distanceと書くようだが、日本語に訳すと「社会的距離」。どうもこの言葉がピンとこない。社会的に距離を取るってなんだ?新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、人と人との距離を意図的に確保する、というならばわかる。どうしてそれが「社会的」と表現されるのだろうか?気になって調べていたら、いろいろわかってきて、とても勉強になった。

 まず、「社会的距離」という言葉は本来社会学用語だそうだ。日本大百科全書(ニッポニカ)の説明がわかりやすかったので引用させていただく。

『個人と個人との間や集団と集団との間にみられる親近感とか敵対感といった感情のレベルでの親近性の程度を表すための物差し(後略)』

 私たちが使っている感染を防ぐための距離のことではなく、〝親近感〟〝敵対感〟など、人が他者への心の距離を示す言葉だ。これならとてもしっくりくる。更に調べるとこんなことも書いてあった。

世界保健機関(WHO)は感染を防止するのはあくまで物理的な距離であり、人はテクノロジーを経由して社会的なつながりを保つことができるという概念に基づき、「社会的」(social) 距離の代わりに「物理的」(physical) 距離という用語を用いるよう提案した』(ウィキペディア

 なるほど!こっちのほうがいい。体と体の物理的な距離だから「フィジカル ディスタンス」どうしてこれが広まらなかったのがむしろ不思議なぐらいだ。身体同士の物理的な距離は確かに広がっているし、これからもそれは維持しなくてはならないだろう。

 ところで、新型コロナは確かに私たちのフィジカル ディスタンスを遠ざけた。本校は現在分散登校を実施しているが、生徒同士の身体距離も心なしか遠い。街に出れば、店内レジに並ぶ人の列にも距離があり、テレビのコメンテーターにおいては〝どんだけ離れてんだよ!〟とツッコみたくなるぐらい遠くにいる。誰もウイルスに勝つことは出来ない。互いを遠ざけながら、ただひたすらにウイルスの怒りが解けるのを待っている。

 しかし〝社会的〟な距離は決して拡大しなかった。むしろ最新のデバイスを用いて、より密接につながろうとしている。考えていれば、他者との煩わしい交流を避けるために用いられる傾向が強かったネットが、今や心と心をつなぐためのデバイスとして活躍している逆転現象すら起こっている。同僚が「ZOOMでエア飲み会した。すごい楽しかった!」と嬉しそうに話す様子を見ながら〝たとえ殺人ウイルスでも人と人との社会的距離を奪うことはできないな〟と感じた。私は下戸(お酒が飲めないという意味ですよ!高校生諸君!)なので、エア飲み会がどれほど楽しいのか今一つわからないが、それでも誰かの笑顔を見られるのはよいことだと感じている。

 物理的距離は遠ざけたとしても、社会的距離は密接なほうがいい。それがウイルスに負けない秘訣だとすら感じる。

 それにしても・・・ソーシャル ディスタンスはWHOの提案通りに「フィジカル ディスタンス」に言い換えたほうが良くないか?

追記 

 今一度上の画像を見てもらうとわかるが、ソーシャル ディンスタンスの正しい言い方は「Social Distancing」=「ソーシャル ディスタンシング」なのだそうだ。ますます、ソーシャル ディスタンスはやめたほうがいいと感じた。

(砂川 亨)